大阪海上保安監部の沿革

昭和23年 5月 1日
神戸海上保安本部 大阪海上保安部設置。
内部組織として、庶務課、保安課、海務課の3課を設置。
昭和24年 6月 1日
内部組織は、総務課、警備救難課、保安課の3課となる。
昭和25年 6月 1日
第五管区海上保安本部大阪海上保安監部に昇格。
内部組織は、管理課、警備救難課、海事検査課、港務課の4課となる。
昭和27年 8月 1日
海事検査課は、海運局へ移管。
昭和30年 8月10日
灯台課設置(大阪港航路標識事務所を統合)。
昭和30年12月 1日
大阪海上保安監部所轄分室として、岸和田分室設置。
昭和38年 5月 1日
大阪海上保安監部所轄分室として、堺分室設置。
昭和39年6月1日
    堺分室は、海上保安署に昇格。
    大阪海上保安監部にレーダー所設置。
昭和40年 4月 1日
岸和田分室は、海上保安署に昇格。
 大阪海上保安監部に通信所設置。
昭和48年 4月16日
通信所は、瀬戸内海東部統制通信事務所に統合。
昭和60年10月 1日
岸和田海上保安署に関西国際空港海上警備隊設置。
昭和61年 4月 5日
港務課は、航行安全課となる。
平成 6年 6月24日
岸和田海上保安署関西国際空港海上警備隊は、第五管区海上保安本部
関西空港海上警備救難部に統合。
平成15年 4月 1日
    レーダー所と灯台課が統合し、航行援助センターが発足。

平成19年 4月1日
    航行援助センターは、交通課となる。

平成20年 4月1日  
阪神港大阪区の南港水路、木津川運河及び堺泉北区の堺水路、浜寺水路の航行管制
を実施してきた信号所と大阪船舶通航信号所が統合し、港内交通管制室が発足
令和5年10月1日  
阪神港大阪区の木津川運河信号所を廃止し南港水路、堺泉北区の堺水路、浜寺水路の航行管制
を実施していた港内交通管制室を大阪湾海上交通センターに統合し、港内交通管制室を廃止

大阪海上保安監部管内での主な事件等

昭和40年8月
大阪港内遊覧船「やそしま」と曳船が衝突し沈没、小学生を含む、20名が死亡した。
昭和47年8月
船舶を用いた重油大量荷抜き事件を検挙荷抜き重油は12,300キロリットルで石油荷抜き事件としては 最大規模。
昭和60年2月
阪南港西方海域でで木材運搬船「SlTl FREDA」(3,675トン木材1,753本積載) が転覆し大量の木材が流出した。
平成8年4月
港内航行中のパナマ国籍コンテナ運搬船「EVER TRUST」(12,529トン)船内で火災発生。2名救助 1名が死亡した。
平成9年4月
大阪港築港100周年を記念して、「SAlLOSAKA'97」が開催され、世界17カ国48隻の帆船が港内をパレードした。
令和5年1月
大阪湾の淀川河口でマッコウクジラ「通称(よどちゃん)」が発見される。  数日後に死亡が確認され、大阪市により紀伊水道の海底に沈められた。